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宗派を越えたお話 ~一休さんと蓮如上人~

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仏教と言っても、そこにはたくさんの宗旨宗派があります。

なにかそうした思想や考え方が異なると聞くと、

宗派同士仲が悪いのではと思ってしますかもしれません。

少し面白い例がありますので、もし宜しければお読み下さい。

 

「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり」

 

これを詠んだのは一休宗純禅師、「とんち小僧」で有名なあの一休さんです。一休さんは臨済宗大徳寺派です。では、この句に出てくる「黒坊主」とはどなたのことでしょうか。実はこの句は寛正二年(1461)に本願寺で営まれた親鸞聖人の二百回忌法要で詠まれたもので、黒坊主とは親鸞聖人の黒漆の木像のこと、つまり親鸞聖人のことです。親鸞聖人は浄土真宗の開祖ですね。

親鸞聖人

この句の存在は浄土真宗の法要に臨済宗の僧侶である一休さんが招かれ、お経を読まれたということを表しています。そしてその席で親鸞聖人の説いた教え、つまり浄土真宗の教えは素晴らしいということを詠んだということなのです。他宗派の法要に赴き、その開祖を「こやつ」と呼び、さらに「素晴らしい」と讃えてしまうあたり、一休さんの凄さがわかりますね。

さらにこの時代(室町時代)、浄土真宗の法主は八代の蓮如上人でした。この一休さんと蓮如上人、年齢は20歳ほど離れていますが、とても仲が良かったそうです。

蓮如上人

 

 

こんな話があります。

 

一休さんがこういう句を詠まれました。

「極楽は 十万億土と 説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」

(浄土真宗で読まれるお経「仏説阿弥陀経」の中に、「極楽浄土は西の方角に十万億土先にある」と説かれていることに対し、足腰の悪いお爺さんやお婆さんではとうてい辿りつくことはできないのではないかという意味です。)

 

 

するとこの句への返答として蓮如上人はこう詠まれました。

「極楽は 十万億土と 説くなれど 近道すれば 南無のひと声」

(たしかに極楽浄土までは十万億土の距離があるが、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えれば近道できるという意味です。)

 

 

 

また、こんなこともありました。

 

一休さんが蓮如上人にこのような句を送りました。

「阿弥陀には まことの慈悲は なかりけり たのむ衆生をのみ 助ける」

(阿弥陀様は慈悲深く困っている者を助けて下さると聞くが、それは念仏を唱えているものだけで、唱えないものは助けないというのだから、差別ではないか。それが誠の慈悲だとどうして言えるのか。)

 

この句に対して蓮如上人はこう返しました。

「阿弥陀には 隔つる心 なけれども 蓋ある水に 月はやどらじ」

(月は海や湖だけでなく、お椀の水にも映ります。しかし、蓋をとじていればその中の水に月は映りません。蓋はその人の心を閉ざすもの、心を開いて念仏を唱えれば、阿弥陀様は助けてくれますよ。)

 

 

臨済宗には「公案(こうあん)」というものがあります。いわゆる“禅問答”です。この2つのお話はまるで一休さんから蓮如上人にむけた“禅問答”にもみえますね。

一休さんは晩年、自分の法要は蓮如上人にお願いして欲しいとも仰ってみえたそうです。

 

 

 

最後に一休さんは、こう仰ってみえます。

「成仏は 異国本朝もろともに 宗にはよらず こころにぞよる」

(“仏”になるということは、出身地や身分、宗教の違いなどは関係ありません。大事なのはその人自身の心です。)

 

きっと信心する心が大事ということなのですね。

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